創作能『クレオパトラ』
2000年8月19日
新国立劇場小劇場(THE PIT)
原 作・・・・・・・・W.Shakespeare
能作・演出・・・・・・・・・・・津村禮次郎
能 原台本・・・・・・・・・・・上田 邦義
演出協力・・・・・・Edward Hall(RSC)
中国打楽器・・・・・・・・・・・孟 暁 亮
出 演
神官・クレオパトラ・・・津村禮次郎
次 女・・・・・・・・・・遠藤 喜久
シーザリオン・・・・・・・・中所 靖子
語 り・・・・・・・・・・新井 武宣
地 頭・・・・・・・・・・中所 宣夫
副 地 頭・・・・・・・・・・鈴木 啓吾
地 謡・・・・・・・・・・佐久間次郎
地 謡・・・・・・・・・・小島 英明
地 謡・・・・・・・・・・坂 真太郎
地 謡・・・・・・・・・・戸上 幾夫
地 謡・・・・・・・・・・井出 龍世
後 見・・・・・・・・・・足立 禮子
後 見・・・・・・・・・・奥川 恒治
後 見・・・・・・・・・・杉澤 陽子
笛 方・・・・・・・・・・松田 弘之
小 鼓 方・・・・・・・・・・古賀 裕己
大鼓方/夜・・・・・・・・・・柿原 弘和
大鼓方/昼・・・・・・・・・・柿原 光博
◆主催:緑泉会・現代語能の会 ◆後援:
ブリティシュ・カウンシル
◆協賛:
アクサ・インベストメント・マネージャーズ東京リミテッド
私は火と風 『能・クレオパトラ』原台本作者のことば
シェイクスピアは、『ハムレット』『オセロ一』『マクベス』『リア王』という四大悲劇を、いずれも主人公の性格悲劇として書き上げた後、すでに青春の過ぎた男女の恋愛悲劇を、5幕42場からなるアクション・ドラマとして『アントニーとクレオパトラ』(1607)を書いた。紀元前一世紀のローマの武将アントニーとエジプトの妖女王クレオパトラの、いわば煩悩と愛欲の姿を舞台上に描いて見せたのである。ギリシアの歴史家プルタークの『英雄伝』のノース英訳(1579)によって、その外的行動を忠実に劇化したと言われるものである。
しかしシェイクスピアは、浮気者のアントニーを次第に本気で愛する人間に変えている。一方、クレオパトラの方は、変幻自在で手練手管の妖女として扱われている点は変わらないが、最後の場面で、アントニーの死後、勝利将軍オクテーヴィアス・シーザーに靡くかと見せて彼を裏切り、アントニーとの甘美な日々を回想してその名を呼び、永遠への憧れに、「私は火と風、五体はこの世の土と水に遠してやる」と言いながら、毒蛇を胸に当て、静かに眼を閉じるのである。
『能・クレオパトラ』は、主としてこのシェイクスピアの『アントニーとクレオパトラ』に基づいて、熊形式に翻案してみたものである。しかしこの度の上演では、狂言の間語(あいがたり)が現代劇の役者によるとか、中国の古代打楽器も登場するなど一種のコラボレイション(合作)になっている。純粋の能をお好みの方々にどこまで納得してもらえるか、それがーつの問題であろう。
能は悟りの芸術である。 「生か死か、もはやそれは間題ではない」(『英語能・ハムレット』1982)―これがオフィーリアの墓前に黙想してのハムレットの結論であった。
さらに、能は救いの芸術である。
死は肉体の死にすぎないということ。死がすべての終わりではない、ということ。
『能・オセロ一』は、シェイクスピアの『オセロ一』の最後の場面から始まる。許しを求め、祈るオセローの前にデスデモーナの霊が現れ、それに導かれる形でオセローは昇天する。
それでは『能・クレオパトラ』のテーマは何か。男とは、女とは、愛とは、権力とは、(愛か権力か)、この世における人生の目的は何なのか、死後への覚悟、である。
あとは、原台本中の、私の好きなせりふを引用するにとどめる。
地謡「アレギザンダー大王の。果たしえなかった太理想。
世界をーつの国として。
万民に平和な暮らしをと。
夢見た、貴方と私。
ローマとエジプト。力を合わせ。きっと実現できますと。
ああ。あのようなお方に。もうー度。お会いしたい。
あのようなお方と。もうー度。共に眠りたい。
地謡「私は堅固な大理石。
さあ私に。最上の晴れ着と王冠を。
わがエジプトの葡萄酒が。この唇をしめらすことは。
もはやない。さあ早く。アントニーが呼んでいる。
いま行くわ。私の夫。私の夫。
貴方はかつで私のことを。
「年もその美を蝕まず。無限の変化(へんげ)を見せる女」と。
今は永遠べの憧れに。私は火と風。
五体はこの世の。土と水に還してやる。
シテ「私は火と風 【舞】
私は火と風。五体はこの世の。土と水に還してやる」
地謡「それから女王は男から。無花果の篭を受け取れば。
中にはナイルの毒蛇が。人を殺すが痛みはない。
死神の使いが隠れている・・・
ご意見ご感想
創作能『クレオパトラ』の美
上田先生、創作能『クレオパトラ』の初演成功おめでとうございます。昨年、『能・オセロ』のビデオを見せていただきました。その時とはまた違った構成、工夫が随所に見られ、大変楽しませていただきました。とくに、全体に言える事ですが、予備知識のない人でも、ストーリが分かりやすいように工夫されていて良かったと思います。近・現代劇的要素と能との融合をはじめ、衣装の美しさ、照明、音楽、舞台構成などの素晴らしさは、すでに、皆さんがこのDRルームで述べておられる通りだと思います。
さて、私の感想を一言述べさせていただきます。後半の部分を見ながら、私は『影清』を思い浮かべました。『影清』では親子の恩愛の情を描きながら、一方、武将としての影清の本性を押さえた形で表出していました。
クレオパトラの霊の舞は女王としての気位の高さ、母としての情よりも、女としての本性、情念の強さを表していたように思います。
人それぞれが、本性に忠実であればあるほど、そこに人間の真実や悟りに近づいていくように思いました。その部分については、時代や空間、国境、民族、人種の全てを乗越えてしまうのだと思いました。静かに消えたクレオパトラ、その後に残った静謐さ……。美しいクレオパトラの後姿が瞼の裏に、一週間後の今も残影として残っています。
木佐貫 洋(大学院生)2000/08/24
創作能「クレオパトラ」を観て
早くからチケットを予約し、楽しみにしておりました。
さて、舞台を見ながらわくわくどきどきしました。非常に大胆な演出だったからです。
シェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」も上田先生の「能・クレオパトラ」原台本も読んでいたのですが、今回の舞台はさらにさまざまな工夫が凝らされていて、次は何が起こるのだろう、どんな演出になっているのだろうと楽しみであっという間の1時間半でした。
作者のシェイクスピアはもちろんイギリス人、舞台はエジプト(と一部ローマ)、中国の古代楽器と日本の伝統芸術の能、照明や音響は現代の科学。それぞれが強烈な個性を持ち、それでいて美しく融合された舞台に仕上がっていました。異次元空間を見ているようでした。
最も印象に残っているのは、アントニーとクレオパトラの死の場面。語りの新井氏のアントニーのせりふと演技がクレオパトラの謡に重なり、神秘的な緊張感ある場面だったと思います。それにしても能面をつけたシテの存在感は圧倒的なものがありますね。力強いクレオパトラでした。
私にとっては伝統的な能の舞台よりも(といっても昨年初めて能を観て以来まだ10回ほどですが)楽しく観させていただきました。
西岡 妙子(大学院生) 2000/08/24
創作能「クレオパトラ」について
「クレオパトラ」は私にとって、すべてが驚きに満ち溢れた劇でした。ここではとりあえず、その内の2点だけについて発言します。
まず第一は舞台設定。エジプトを象徴するピラミッドの、照明による象りが印象的でした。
もう一つ、進行役(狂言廻し)による解説が、この劇の理解を助けるのに効果的であると同時に、客席の方から出てみたり、奈落の底へ消えてみたりの神出鬼没には楽しませてもらいました。
貫井 正也(大学院生) 2000/08/24
『創作能・クレオパトラ』を鑑賞させていただいて
上田先生、先日は、『創作能・クレオパトラ』を鑑賞させていただき、ありがとうございました。
以前に、Dルームでこのお知らせを知ったときから、当日を楽しみにしておりました。(早くからチケットを手に入れ、時々チケットを眺めては舞台を想像して楽しんだりしていました)
舞台は本当に素晴らしかったです。美しかったです。
特に、私の印象に残ったのは、光の構成の見事さと、音響の効果で、視聴覚をたっぷり楽しませていただきました。伝統的な能の形式にとらわれず、新しい融合文化としての工夫が随所に見られ、見る者に期待感を持たせてくれる創造的な舞台でした。シェイクスピアの作品を能形式で見ることができることに、嬉しさと共に喜びを感じます。
舞台の素晴らしさもさることながら、会場も素晴らしく、心地よい時間を過ごすことができました。また、懐かしい人々とも出会い、私達に多くの楽しみと喜びをもたらしてくれる公演に感謝します。
次の作品が楽しみです。
坂本 典子(大学院生) 2000/08/24
『創作能・クレオパトラ』は不思議な体験でした。
能そのものを見たことがないので、比較して論ずることはできませんが、大学時代によく見た新劇と比較するとまったく違った世界です。「語り」の登場とその話し方は新劇的ですが、中国古典打楽器の音色の後に登場する津村禮次郎の神官は印象的でした。新国立劇場ならではの照明と、中国打楽器と囃子と地謡のかもしだすハーモニーは異次元的な体験でした。
圧巻はクレオパトラとシーザリオンの舞でした。能を本当に美しいと感じました。
地謡をきちんと理解するためには、観能の体験を積む必要があると感じた。能の経験のない竹村には“脚本が手元にあれば予習していけたのに!”と思いました。最後の台詞にすべてが集約されるように仕組まれたすばらしい舞台でした。
シテ「私は火と風、【舞】 私は火と風。五体はこの世の。土と水に還してやる。」
I am fire and air, my othere elements I give to baser life.
竹村 茂(大学院生) 2000/08/24
美を極めた舞台でした。
中国古代打楽器と囃子との対位法的な演奏、そして謡の輪唱が生み出す残響が、舞台が終わるまで場内に満ちていました。
照明も「余韻」に重きを置いていたような気がします。それが転換する狭間、「時」を感じたのは私だけでしょうか。
音響と色彩によって造られた一つの宇宙の象を見た思いでした。
史実の方に興味があるからかもしれませんが、シェークスピアの戯曲というよりも、二千数十年前のエジプトの情景をリアルに思い描いてしまいました。能装束に面を着たシテから私が得たイメージは、母として女性としての極めて人間的なクレオパトラの(映画よりもリアルな)姿です。象徴化によって「永遠」を凝縮し、 夢のように、過去も未来も現世と来世をも斉しく同じ場に置こうとする能の演出が、かえってリアルな印象を私に懐かせたのかもしれません。
「能・ハムレット」も「能・オセロー」も同様に美しい夢のような能です。
上田先生の作品は、人々の魂に直接語りかけ、生きることの目的を教えてくれます。 能「クレオパトラ」も、やはり我々を悟りへと導く救いの芸術でした。
カケリを舞うシーザリオンが健気で、可愛かったです。
竹内正人(大学院生)2000/08/23
新作能「クレオパトラ」公演を鑑賞して
新作能「クレオパトラ」のご成功おめでとうございます。
特に、印象に残っているのは、何かが起こりそうな予感のする音色の音楽とかわいらしい子役の舞と簾越しの物着の様子、そして新国立劇場のすばらしさです。
子役の声はとても澄んで心地よく響いてきました。終演後、ロビーにいた彼女に思わず声をかけてしまいました。もうすぐ9歳になる、小学校4年生とのこと。頼もしい。
語り手はとても熱演されていました。とはいえ、ワキを想定したので、もう少し品の良さと何となく一歩引いたような奥行きを感じることができたらなあと、・・・。
神官の登場には、何と言うか、ほっとしました。
すごいなあと感じたのは、クレオパトラの袖の赤い紐が鬘に留めてあった紐に引っかかって動きがとれなくなり、何とかはずそうと舞ながらも試みられるのですがはずせなかった時、扇を右手に持ち替えて舞ながらも、潔く諦めて救助を待たれたこと。当然のこととはいえ、後見との信頼関係のよさですね。クレオパトラの舞の迫力は、間近で見て一層はっきりと感じます。頬をつたう汗が光ってみえました。
不思議な印象のひと時を、どうもありがとうございました。今後とも新たな試みで楽しませていただきたく、ますますのご活躍をお祈りいたします。
冨田 和子(大学院生) 2000/08/23
能「クレオパトラ」、本当すばらしかったですね。
能「クレオパトラ」、本当に素敵でしたね。夢見ごこちでした。中国打楽器とお囃子のエキゾチックな掛け合い、現代劇の役者による間狂言的な一面、クレオパトラとシーザリオンの母子の舞の美しさ、そして、衣装の優美さ。
クレオパトラの「私は火と風」という語りには、永遠さ、偉大さを感じます。中入りの仕方も神秘的で夢のようでした。
伝統的な能もいいですが、創作能には、無限の可能性があるように感じられます。上田先生、既に次の創作能の構想が、あるのでしょうか?次回が楽しみです。すばらしい能でした。ありがとうございました。
斎藤 純子(大学院生) 2000/08/22
クレオパトラは、美しかった
創作能「クレオパトラ」本当にすばらしい世界でした。こんなに美しい幕切れを見たことがありません。クレオパトラがNEXTな世界へ消えてゆく、夢のようなその美しさ。この美しさにふれただけでもこの舞台を観てよかった。間語りが、現代劇でおこなわれたのも、おもしろい展開でした。港での裏切りの場面で、お能のクレオパトラと現代劇の役者との掛け合いがありましたが、これは「シェークスピアの世界だ」と思えたのですが・・・。死んだアントニーが、舞台袖で顔だけの登場もおもしろかった。美しい舞台と照明、テンポのあるおもしろい演出でした。子役のシーザリオンの舞にも泣かされました。私自身も少し美しくなれたような一日でした。
中田 あゆみ(大学院生) 2000/08/19
能クレオパトラの感想
伝統の能舞台ではなく、まさしく現代において最高のデザイン、最高の技術でもって融合された能舞台であり、そこで演じられた能・舞は幻想的で、これらの映像がそのまま私の脳内でこだまのように能をかけめぐっています。
なによりもエジプトであるという舞台表現として形容された舞台上のピラミッドは実に美しいものがありました。
また、途中、語り部が出てきたことも、能のストーリーを理解しやすくしたという意味でも効果的だったと思います。(もっとも、私にとってはなにが語られているのか知ることはできませんでしたが)
夢幻能としてのクレオパトラは私を夢の世界へ誘ってくれました。夢の中で能・舞が続けられていたと言ったら、誰が信じるのでしょう・・・。
上田先生、ありがとうございました!
棚田 茂(大学院生) 2000/06/17
連絡先 E-mail:kuniyoshi@munagumi.com