明星大学「能楽講座」
2000年6月15日
明星大学シェークスピアホール





制作:観世流緑泉会



主催:明星大学



企画:岡田恒雄








『英語能・ハムレット』より、
洋装による 独吟、仕舞

上田邦義









講演『能の現在と未来』

上田邦義










公演『能・オセロー』

シテ:津村 禮次郎
アイ:野 村 萬 斎
ツレ:鈴 木 啓 吾
地謡:中 所 宣 夫
笛 :松 田 弘 之
小鼓:古 賀 裕 巳
大鼓:柿 原 光 博
太鼓:吉 谷  潔
後見:足 立 禮 子






鼎談『能・狂言の古典と新作』

上田邦義 ・ 津村禮次郎 ・ 野村萬斎



ご意見ご感想

 明星大学「能楽講座」の感想を述べさせていただきます。
 まず、会場となった明星大学のシェークスピアホールのすばらしいこと。外側からはわかりませんが、内部はグローブ座を模したつくりになっていてとてもりっぱでした。一般の席は2階席で、私は一番後ろの席でしたが、舞台はとてもよく見えました。
 上田先生の講演のあと、「英語能・ハムレット」の独吟独舞。それも洋装で。いったいどんな服装で、とわくわくしておりましたが、なんと、白いワイシャツに黒のズボン。この日の舞台は板の上に能舞台を表わす白いシートが敷かれてあり、そのまわりは黒い枠どりがしてありました。このモノトーンの舞台(世界)でモノトーンの衣装で舞われたのです。舞扇の金銀が実に効果的で、舞の見事さはもちろんのこと、視覚的に大変美しいものでした。また、私の最大の関心事であった英語の節づけは、想像していたのよりずっとなめらかで、聞き取りやすいものでした。笛の音がよく調和していると思いました。
 さて、続いての「能・オセロー」の演出は昨年度「能・オセロー創作の研究」で私たちが学んだものとは大きく異なっていました。
 最初の出だしから違っていてびっくりしましたが、最後の場面には本当に驚きでした。オセローの自刃で終わりとなっていたのです。苦悩するオセローにデズデモーナの霊が現れて再開を喜ぶ場面、つまりシェイクスピアが描かなかった救いの場面、二人の相舞がどのように表現されるのか見たいと期待していたので。
 上田先生の作品は、毎回工夫がこらされ、違う演出で上演されてきたと聞いておりますが、今回の演出は津村氏によるものでしょうか。
 最後の場面は、今回の演出ではより、シェイクスピアの原作に近い形になっていました。言い換えれば、シェイクスピアの作品をそのまま能と融合させた形と考えてよいのでしょうか。もちろん、舞台は十分に楽しめるものでしたし、オセローがデズデモーナを殺す場面で小袖だけをつかみ、デズデモーナは魂が体から抜け出たように去ってゆき、振り返って、オセローと殺される自分を見ているところが最も印象に残っています。
 最後の鼎談では「古典と新作」に対する上田先生、津村禮次郎氏、野村萬斎さん三人三様の考え方が楽しかったです。

西岡 妙子(大学院生)2000/6/18

明星大学「能楽講座」を観て
 6月15日に、明星大学日野校舎まで行って、「能楽講座」を観てきました。文化情報専攻の方が私を含めて3人、国際情報の方が1人来ていましたね。他にもいらっしゃった方があったかも知れませんが。
 上田教授の英語能「ハムレット」は見事でした。音声の方は分かりませんでしたが、舞の美しさ、そして、洋装というところが見事に劇場に照合していたというのもありましょうか。本来の能舞台とは違う、グローブ座のような劇場だったため、白いシートを敷いたものの上で舞う形でしたが、白いワイシャツに黒いズボンが視覚的効果を引き出していたような感じがしました。
 洋装による英語能「ハムレット」こそ、夏目漱石が描いていたシェイクスピア能かもしれません。その根拠は?って聞かれると答えられませんが、近代化の明治時代において服装も西洋化が進んでいた当時のことですから、シェイクスピアと能との融合において、服装も洋装と考えていた可能性はすくなからずともあるのではないでしょうか。そんな感じがしました。
 能・オセローについては、私が知っている(比較文化比較文学特講の教材2にある初演謡本)ものとは趣向が異なっていたので、ビックリしましたが。
 最後の着物と刀との関係はまさしく記号論で言えば、デスデモーナの死のシンボルと死に対して悟りを得たオセローのシンボルを感じました。
 おそらく津村氏は、最後にオセローも刀を抜いて自分を刺すことによって、デスデモーナの後を追いかけたというふうにしたのではないかと思うのですが、観客の私にとってはそのように受け止めませんでした。刀を抜き、更に元の鞘に戻した時点で、自殺を思いとどまったように受け止めたからです。このことは、デスデモーナを殺してしまったオセローに対し決別を告げ、新しく生まれ変わったオセローとしての新生を見いだしたのです。
「人は新しく生まれ変わらなければならない」という示唆だったように思いました。デスデモーナの霊は、オセローにも死んで欲しいと思うはずがないと思うのです。真実の愛をオセローに抱いているとしたら、殺された時点でデスデモーナはオセローに「赦し」を与えています。この「赦し」をオセローが悟ることにより、刀を元の鞘に納める形で表現したと、私は受け止めました。「赦し」を悟ることによって、オセローはシェイクスピアの世界から出ていったと。
 鼎談(上田先生、野村萬斎氏、津村氏)を聞いて、思ったことだけを一つ。
 たしか、野村萬斎さんが「古典芸能のスタイルを継承し、その中で新しいものを作っていきたい」という意志の元に、シェイクスピア劇での表現(血を流す場面とか倒れる場面とか)を別の形で再現することを考えていると話されていたと思います。(正確ではないですが・・・)
 野村萬斎さんがやりたいと思っていることを、ろう者は記録に残っている範囲で、明治時代から既に実現させているように思いました。私の修士論文の中における、ろう者の「事象の再現(TV映画、漫画などから手話で語る)」がまさしく野村萬斎さんが目指しているものではないかと思ったのです。
 もし、もう一度野村萬斎さんとお会いする機会があったら、「ろう者の世界へ5年間留学してください。」といいたい。きっと、野村萬斎さんにとっても知らない世界で、かつ魅力に映るはずだからです。幸い、野村萬斎さんは和泉流。日本ろう者劇団が演じる手話狂言の師匠が同じ和泉流の三宅右近氏。おそらく、三宅右近氏から手話狂言のことについて話を聞いているかも知れません。しかし、この手話狂言はろう文化の上に成り立ったものではなく、あくまでも翻訳というレベルでしかないのです。もし、ろう文化の上で形成された手話狂言だったらもっと違うものができているはず。
 野村萬斎さんが、ろう文化を理解し、手話をマスターし、かつ、詩的な表現を手話で演じることが出来るようになった時点で、野村萬斎さんの夢が叶うかも知れないと、私は本気でそう思いました。これぞ、融合文学。
 話は変わりますが、歴史的に確認されたわけではないのですが、室町時代にろう者が能を演じた可能性があります。京都にろう者の部落があったという記録があります。生計を立てるために人の物まねをしたり芸を見せたりしていたかもしれないという話をろう歴史研究者の伊藤政雄氏(元筑波大学附属聾学校教諭)がおっしゃっていました。
 また、能・狂言における身振りがそのまま手話になって、私たちの言葉になっている可能性もあります。「心得た」の身振りが手話化して「分かった」・「理解した」になっていますし、歌舞伎の「刀がなかなか鞘から出せない」という身振りが手話の「できない」「間に合わない」になっている面も。
 私の推測ですが、能・狂言を観たろう者がそのまま手話にした可能性が高いと。あるいは、聾学校の教諭が能・狂言を参考にろう者に教えたかのどちらかですね。
 これは「事象の再現」にもつながるのでは???まあ、このあたりは修士論文でたたき上げる予定です。
今回の明星大学の「能楽講座」は実に多くのヒントを私に与えてくれました。感謝します。

棚田 茂(大学院生) 2000/06/17

連絡先 E-mail:kuniyoshi@munagumi.com